9 プロパティー・インターナショナル社の乗換えファンドとは何だったのか
さて、フレイザーとブルックはマザールの裏切りに激怒しました。これではせっかく苦心して手に入れたアルゼンチンの鉱山採掘権は完全に失われ、またその結果として投資家には何も返らなくなる事が目に見えているからです。マザールは投資家に対し、鉱山投資は詐欺であったと完全に嘘の報告をしました。しかしマザールが自分達の都合で何と言おうと、実際にはこれらの採掘権には莫大な潜在価値があるのです。その価値ある採掘権を勝手に放棄されてしまっては、投資家に対してちゃんとした返還ができないばかりか、フレイザーとブルックが暖めていた将来のビジネスの芽までが摘まれてしまいます。決められた手数料で仕事をしていれば良いものを、PWCから入れ知恵されたマザールは、突如として欲の皮を突っ張らせた泥棒に居直ったのです。 |
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これを食い止めるには誰かがマザールの清算過程を、厳密に監督して無茶を止めさせなければなりません。唯一マザールに対して正当に発言できる立場にあったのは、本来ならば真の債権者である投資家の筈でした。しかしマザールは大多数の債権者を網羅するような債権者会議を一度も組織しておらず、即ちその当時の投資家は完全にバラバラの状態に置かれていました。寧ろ強大な発言権を持つ債権者会議を作らせないようにするため、マザールは何時まで経っても『投資家のリストがなく(完全な嘘)連絡が取れない』、と言う振りをしていたのではないかと思います。いずれにせよ一般の投資家が一つの強力なグループにまとまるのは、現実的には非常に困難な事でした。そこでフレイザーとブルックが考えたアイデアは、ある一つの法人にできるだけ多くの投資家から債権を譲渡してもらい、その法人が金額と投資件数の上で単独最大の投資家となる事により、マザールが債権を処分する方法に関し必要に応じて口出しできるようにし、マザールの暴走に歯止めを掛けると言うものでした。こうすればその法人が、インペリアルに対する完全に合法的な新しい債権者として、管理人であるマザールのやり方に注文を付ける事ができるようになると考えられたのです。しかし当然の事ですが、投資家から債権をただで譲渡してもらう訳には行きません。そこで考え出されたのが債権の交換です。 |
この直ぐ後で詳しく説明しますが、フレイザーとブルックは、「インペリアル」と言う名を冠した金融事業グループの他にも、幾つかの非金融事業を平行して経営していました。つまりフレイザーとブルックは、フレイザー・ブルック・パートナーシップを最終的なオーナー機関とする、ミニ・コングロマリットを作り上げる過程にあったのです。それらのうちの幾つかは事業として稼動しているものでしたが、残りの幾つかは単に所有しているに過ぎない、つまり未だ事業化には至っていないものでした。その一つにシエラ・レオネにおける黒御影石の採石場がありました。フレイザーとブルックのアイデアを簡単に言えば、皆様がインペリアルに対して持っておられた債権を、この黒御影石採石場に対する債権と交換してもらおう、と言うものでした。文章だけの説明では分かりにくいと思いますので、パワーポイントの説明をご覧になって下さい。(次のスライドに進むためには、マウスのホイールを回して下さい。)これは単なる債権の交換ですから、誰にも資金負担は発生しません。またこの採石場は未だサンプル出荷がやっとの段階で、商業ベースで運営して行くには新しい資本が必要とされていましたが、万一フレイザーやブルックに資本を集める事ができず、予定したタイミングで事業化する事ができなかったとしても、採石場や黒御影石そのものが消えてなくなる訳ではなく、時間が掛かる事だけを覚悟すればその分だけ安全なものと思われていました。即ち投資家の立場に立って考えれば、もしインペリアルに債権を置いたままにしておくと、マザールが勝手放題に資産を処分し、特に最も価値の高かった採掘権を放棄してしまうため、最終的に回収できる金額が激減する事が明らかであるのに対し、PI社に債権を移行させておけば、回収までに時間は掛かる可能性はあっても、少なくとも債権は御影石と言う実物資産によって保全される、と言う安全性こそがこのスキームの眼目だった訳です。 |
ところでマザールは、またしてもPI社のスキームを『新手の詐欺である』と決め付けましたが、そもそも資金の動きが全くないところに、どうしたら詐欺が起こり得るのか、ライアンやウッドは実に不思議な事を言い出す人達です。結局自分でも何も分かっていないからこそ、こんな無茶苦茶を平気で口にするのでしょう。もし彼等がシエラ・レオネの現場を実地調査した結果、言われているような採石場は存在していない事が分かった、とでも言うのであれば大したものですが、言うまでもなく彼らが何かの調査をした形跡はありません。合理的な理屈も具体的な根拠も全く、ただ何でも闇雲に否定しようとしていた彼等の態度は見苦しく、殆ど滑稽といっても良いくらいですが、後になって私のような人間が以下に述べるような証拠を出してくるとは、その当時は思ってもいなかったのでしょう。 |