実を言いますと、グループの管理が始まった当初は、私はそれを極めて冷静に受け入れていました。グループが解散になるのは寂しい気がしますが、信頼できる(と、その時点では信じていた)監査法人が管理を請負った以上、自分の出番はもうこれでなくなり、殆ど不眠不休の苦労もこれで終わったと言う、一種の脱力感に浸っていました。投資家の皆様には大変ご迷惑をお掛けしましたが、利払いや償還が遅れがちになっていた事は事実です。しかし我々は本部からの説明を信じて、日々誠心誠意、皆様への説明に明け暮れていました。お客様のお立場を考えれば無理からぬ事ではありますが、それにしても一部の心無い投資家からは毎日のように電話で罵声を浴びせられ、何の責任もない社員が悔し泣きするような状態が終わるのは、私に取っては一種の救済でもあったのです。幸いな事に債権額は債務額を上回っていると言う発表が本部からありましたし、全ての投資債権の回収にはまだまだ時間が掛かるかも知れませんが、投資家に対する資金の返還は今後マザールが粛々と実行してくれる、投資家に対する自分の今の義務はマザールとの連絡役に徹する事であり、それが一段落したら今後の新しいビジネスを再設計しようと、本当にそうマザールを信じきっていたのです。
しかしこの状態はさほど長続きしませんでした。何故ならばマザールの行動に対し、私が小さな疑問を感じるようになるのに、それほど時間は掛からなかったからです。堅い話になりますが、如何なる企業の管理であっても、第三者が管理を請け負って最初にすべき事は、会社業務の現状を固定し、債権債務の金額を確定し、現存資産が散逸しないように保護措置を取る事です。ましてやこの場合のように、最終的には自主清算が予定されている場合において、このように現在価値(債権債務とも)の確定と保全を図る事は基本作業中の基本なのです。この基本作業を終えずして次の段階に移行する事はできません。これは説明の要もないほど当然の事です。その頃私は数多くの投資家から、今後どうすれば良いかについて毎日のように問い合わせを受けていましたが、マザールから必ず何らかの連絡がある筈だから、それを待って下さいとお答えしていた筈です。ファンド会社の管理を請け負った結果、今や法的にはファンド会社の経営当事者となったマザールは、新しい経営者として会社の全容を把握する作業の不可欠な一環として、債権者に対する残高確認手続を欠かす訳には行かないからです。しかし幾ら待てど暮らせど、マザールから皆様への連絡は何もありませんでした。しかし私は未だその頃は、作業量が膨大であるため、なかなかこちらが思うようには着手できないのだろうと、連絡の遅れを善意に解釈していたのです。しかし、しびれを切らした数人の投資家から要請があったため、こちらから残高確認依頼書を英文で作成し、マザール宛てに送付したのは前述のとおりです。これらの、私が下書きをした残高確認依頼書は、一通を除いてお客様個人の名前と資格において発送されました。また残りの一通はある日本の監査法人から、顧客の会計監査に関する正式の要請として送付されました。しかし驚くべき事に、それらの要請に対して残高を確認する返事はおろか、一片の受領確認さえ送られてこなかったのです。(通常忙しくて返事が出せないような場合、『ご要請の趣旨は理解したが、今は業務繁多で忙殺されているため、後日改めて連絡する』旨の返事がくるのが国際常識なのですが。)つまり債権者からの要請は頭から完全に無視されたのでした。ここにおいて私はマザールの態度に若干の疑念を抱くに至りました。
更に数週間が過ぎ、マザールは突如としてインペリアルが詐欺であったと言い始めました。しかし私はマザールが、全投資家に対する債務額の確定どころか、投資家に対する連絡さえ未だしておらず、その一方では本社の高額な通信設備や電子機器類を、文字通り壁から引きちぎるようにして自分達の仲間に売り渡していた事実を知っていたため、マザールのこの唐突な主張には再び非常な違和感を覚えました。債権債務額すら確定できていない(即ち帳簿を精査もしていない)状況で、どうして詐欺であると断定する事が可能であったのかと言う、至極単純な疑問です。彼等が管理人として当然しなければならない仕事を、ちゃんとしていなかった事は明らかでしたが、だからと言ってそれが、フレイザーやブルックが詐欺をしていなかったと言う根拠にはなりません。このため私は誰を信じて良いものか些か混乱しましたが、一応はフレイザーとブルックによる詐欺と言うシナリオも可能性としては残し、言わばマザール側とフレイザー・ブルック側の両方に対して等量の疑念を持って接する事にしました。私がマザールのロンドン事務所に呼び出されたのはこの後の事です。何に対しても確信をもてないこのような状態であったからこそ、私はマザールとのミーティングにも密かに期するところがあったのですが、前述のとおり、私は酔っ払っただらしないライアンから子供騙しの嘘を聞かされただけでした。更にその数ヵ月後、東京でウッドと会った際にも、こちらから情報の提供を申し出ていたにも拘らず、ウッドの木で鼻を括ったような余りもの無関心に驚き、これは絶対に何か裏があると疑わざるを得なくなりました。この段階(ウッドに会った2002年の冬)でマザールに対する疑念は急速に膨らみ、未だ具体的な証拠を持っている訳ではありませんでしたが、本能的にそれは殆ど確信に近くなって行きました。
話が前に戻りますが、ロンドンでのライアンとのランチでは、私を懐柔し自分の側に引き込もうとする意図が明らかに伺われました。しかしその数ヵ月後、東京でウッドとの会見した時には、私はマザールに取って殆ど相手にする価値のない存在となっていたのでしょう。何故ならば、前回は懐柔するところまでは行かなかったものの、未だ積極的な反対勢力にまではなっていない、彼らに取っては言わば無害な存在であったからです。その後もマザールは顧客名簿や電子メール記録を要求してきましたが、私が彼等の動機に対して不信感を持ったためそれに応えないでいると、そのうち段々と彼等の態度が尋常ではなくなってきました。最後はいきなり「別にロケット工学の問題を出している訳ではないのだ。一体何時まで待たせるつもりだ」と言う、「前略」や「草々」に相当する形式的な挨拶言葉さえない無礼極まるもので、到底まっとうな清算人から来た信書とは思えないものでした。彼等は余ほど苛立っていたのでしょう。しかし繰り返しますが、これは本来彼等がとっくに持っている筈の情報なのです。何が彼等をしてこれほどまで昂ぶった態度を取らせたのか、私は興味を覚えずにはいられませんでした。