捜査当局が正式に動き出したのは2002年の夏ごろだったと思いますが、当初リンカーン州警察はこれを国際的詐欺事件であるばかりか、麻薬取引やテロリスト・グループとの関連が指摘される、州始まって以来最大の刑事事件に発展する可能性があると見て、大規模の捜査予算を組みました。何しろこれが無事解決されたならば、リンカーン州警察の株は上がり、警察署長の中央での昇進間違いなしです。その結果フレイザーやブルックにはあからさまな尾行が付き、私の自宅はあからさまで下手な盗聴が行われました。警察は特に隠し口座の存在を示す証拠と、武器、麻薬などの違法所持を発見しようと意気込んで、フレイザーやブルックの自宅を徹底的に家宅捜索しましたが、結局如何なる犯罪を仄めかすものも発見されませんでした。僅かにフレイザーがスポーツ用空気銃を持っていた事を、仰々しく『武器が発見された』と発表したところがあります。これはもちろんマザールです。
この大捜査網の設置を誰が進言し指揮したかは知りません。巷間言われているところではマザールだそうです。まあ、恐らくそうでしょう。いずれにせよこの捜査は、結果として何の成果も挙げる事ができなかったばかりか、当初言われていたような詐欺の事実そのものが存在しない事が、徐々に明らかになってきたのです。現在、私の逮捕・取り調べを担当したリンカーン州警察ラウス警察署では、本件の捜査担当責任者を含む二名が既に2004年中に辞職していますし、またSFO内においても本件のケース・オフィサー(捜査指揮官たる管理官)が交代させられています。典型的なトカゲの尻尾切りです。マザールから国際的詐欺事件であると言われ、その気になって特別予算を組み大規模捜査をしてみたところ、大山鳴動して鼠一匹と言う有様であった訳です。このまま終わらせてしまっては捜査当局の面目は丸潰れですが、それ以外にもこれを簡単に終わらせる訳には行かない事情が出てきました。つまり、調査を進めるに従って浮かび上がってきたのは、最大の被害者は二百数十名の声なき日本人投資家グループであり、一方最大の受益者は英国企業であるマザールなのですが、その利益は最大限に譲歩しても重過失としか言えないような失策、下手をしたら刑事犯罪になるかも知れない不当な清算行為から得られたものであると言う、とてもそのまま表には出しにくい極めて厄介な構図だったのです。彼等もこれには困った筈です。
私は英国の司法当局が真摯に正は正、誤は誤としてくれると信じたい気持ちがあります。しかし、もしここに少しでも政治的判断が入る余地があるとするならば、他国民の利益を守るために、自国企業の非を暴くのにどれほど熱心になれるものか、英国の当局者に取ってディレンマがないとは言い切れないのではないか、と言う気がします。第一英国民で直接的被害に合っている投資家は一人もいないのです。そう言うと、イギリス本国では売る事もできないような代物だったのか、と誤解なさる方がいらっしゃるといけませんので申し添えておきますと、これは、イギリス国内居住者は一般にオフショア投資を認められていないからなのです。実はイギリス人の個人投資家は相当数いたのですが、彼らは皆、生命保険会社の投資商品を通じてインペリアルに投資していました。つまりインペリアル側からすると、投資家として帳簿に上がってくるのは生命保険会社の名前であって、投資家個人の名前ではないのです。また生命保険会社に取っては、インペリアルへの投資など巨大なポートフォリオのごく一部に過ぎず、全体の投資パフォーマンスに影響を与えるほどではなかったのです。従ってイギリスの個人投資家は、だれも直接損害を受けたと言う意識はないのです。話が元に戻りますが、イギリスにはロンドンのシティーと言う世界有数の金融市場があり、富の源泉の多くをシティーの名声に依存しています。そう言う状況にあるイギリスとしては、自国の監査法人であるマザールの違法行為を摘発するのは、直ちに金融スキャンダルの連鎖を起こし兼ねないので、これを国益に反する行為であると近視眼的に看做す凡庸な為政者が、あるいは枢要な地位に就いていないとも限らないのです。いやそれどころか、現にサウジアラビアに対する英国製兵器売却に係る贈賄スキャンダルでは、「法の支配よりも国益が最優先である」、つまり正義の追求よりも利益の追求の方が大事であるとの理由から、3年にわたったSFOによる捜査を打ち切りるよう政府が指示しているのです。この事は覚えておく必要があります。
さて当局によるインペリアルに対する捜査が始まったのは2002年の夏でしたが、今年(2006年)の夏になってようやくフレイザーやブルックは詐欺罪で起訴されました。ようやくと言うのも変ですが、とにかく彼等は今年の7月になって初めて起訴されました。起訴理由とされた詐欺の内容は、実は明らかにされていません。しかし、私がSFOや警察の連中と接して得られた感触からすると、とてもとてもマザールが言っているような詐欺ではあり得ないと思います。再び繰り返しますが、もしマザールの主張が正しいと仮定するならば、フレイザーやブルックは僅か2年かそこらの間に、二百数十億円をネコババした事になるのです。これだけの金額になると、真人間でもついふらふらと誘惑に駆られ兼ねません。まして(マザールが言うように)最初から意図して働いた犯罪であるならば、イギリスの司法権が届かず、また犯罪人引渡し協定もないブラジルのような国へ、逃げない方が寧ろ不自然ではないでしょうか。しかし捜査が開始してからまる4年半もの間、フレイザーもブルックも全く何も拘束される事なく、世界各地へ自由に仕事の旅行を繰り返しており、そのたびにちゃんとイギリスに戻ってきています。勿論どこにも逃げも隠れもしていません。ちょっと話がずれますが、フレイザーやブルックがこの間に頻繁に訪れている先には、嘗て彼等が鉱山採掘権を持っていたアルゼンチンや、御影石採石場を持っていたシエラ・レオネが含まれています。インペリアル・グループが崩壊した後も、依然としてアルゼンチンやシエラ・レオネを彼等がたびたび訪問していたのは、マザールによって放棄されあるいは潰されてしまった権利を、何とかして少しでも回復するチャンスがないかと、いろいろと昔の伝をたどって模索していたのではないかと私は想像します。
話が少しずれてしまいましたが、本題に戻りますと問題は、彼等は何故4年間も起訴されずに自由でいる事ができたかです。私は彼等が早く起訴されなかった事に不満があるのではありません。寧ろその正反対です。私が言いたいのは、もし本当にマザールの言うとおり、フレイザーやブルックが大金を隠匿しているのであったならば、彼等が逃亡しないうちに身柄を拘束するのが当然の筈なのに、当局が敢えてそれをしなかった理由は何だろうかと言う事なのです。端的に言って、捜査当局には彼等を起訴するに足るだけの理由を持っていなかったからだと私は思います。あるいは既にその段階で、マザールのシナリオは成立しない事を、知っていたのではないでしょうか。つまりこう言う事です。マザールのシナリオに沿って起訴するには、証拠が全くありません。つまり消えてなくなったと言われているお金の事を争点にすると、詐欺の証拠を提出する事ができず公判が維持できないばかりか、寧ろマザールの主張の根本が悉く否定されると言う、検察側にとっては極めて都合の悪い展開になります。そこで彼等は、消えてしまった二百数十億円については何も触れずに、フレイザーとブルックに幾つかの微罪を押し付ける事によって、一応は詐欺と言う形で決着を付けようとしているのではないかと疑われます。これは根拠のない話ではありません。
SFOの話によると、彼等がイギリスの本部及びグレナダから押収した文書(紙のものも電子化されたものも含めて)のうち、約4000件に私の名前が出てきたそうです。裏付調査のようなものなのでしょうが、私はそれらの文書を知っているかどうか、また知っている場合にはそれらがどう言う機会に作られたもので、何を意味するのかを尋ねられた事がありました。私の知らない文書も随分ありましたが、ある程度の規模の組織で働いていれば当然の事で、自分の知らない文書に自分の名前が出ているからと言って、そんな事は驚くには当りません。会社の人事部が、当の社員の知らないところで、勤務評定をしているのと同じです。ところで私が見せられたある一つの文書は、どこかのグループ子会社の役員会の議事録だったのですが、それによると私はその役員会に出席していた事になっていました。しかし私はそのような役員会の事は知りません。それは単に記録の間違いであったかも知れませんし、あるいは出席役員数が足りなかったのでちょっとインチキをして、記録上私がいた事にして員数合わせをしたのかも知れません。もし後者であるならばそれは勿論違法な事です。しかし私が興味を持ったのはその点ではありません。私が興味を引かれたのは、私がそんな会議の事は知らないと当局者達に言った時に、捜査官の一人が『それは詐欺だ!』と叫んで、鬼の首でも取ったかのような顔をした事なのです。その時に直感として、やはりフレイザーやブルックが二百数十億円をも盗んだと言う証拠は、どこにもなかったのだなと思いました。だからこそ当局は、面目を失わずに振り上げた拳を下ろすために、どんな些細な事でも良いから、詐欺と呼ぶ事のできる材料を必死で探していたのでしょう。もしそうでないのだったら、証拠隠滅どころか、資金をどこかの秘密口座に隠したまま、手の届かないところへ逃亡されてしまう恐れがあるのに、4年半もの間フレイザーやブルックを自由にさせておく筈がありません。ところで、秘密口座と言うと如何にもありそうな話に聞こえますが、本当に秘密の口座を所有しそれを秘密裏に利用するなどと言う事は、現実的には殆ど不可能なのです。第一ここでマザールが主張しており、投資家達や警察にそう信じ込ませようとしているのは、百億円単位の資金なのです。せいぜい1億円程度までであれば、もし既に現金で手元にあるのであれば、送金記録を残さずに隠す方法もあるかも知れません。しかも投資家からは国際電信送金によって振り込まれ、運用にはやはり国際電信送金によって振り込まれる、全て電子化された詳細な記録の残る資金の流れを、どうやったら隠せると思っているのか、素人の戯言もいい加減にしてもらいたい物です。フレイザーも同じような証言をしています。
ではフレイザーやブルックは完全にシロなのでしょうか。多分そうではないと私は思います。これは後付けの知識に過ぎませんが、彼等はイギリスで会社役員となる資格が停止されていた期間中に、インペリアル・グループの役員になっていた事がありました。確かに法律違反ではありますが、敢えてそれを犯す事によって得られるメリットはどこにもありません。先ず十中八九そうとは認識せずに、あるいはうっかりして犯した違反だと思います。これは誰にとっても益にも害にもならなかった事ですが、やはり違法である事に違いはありません。資格停止になっていたと言う事を、顧客や他の社員等にちゃんと説明しなかった事が、拡大解釈をすれば詐欺と看做されるのかも知れません。また先に述べたように私が全く関知していない役員会に、私が出席していたかのような記録が作られていました。これも特に誰に害をもたらすと言うようなものではなく、こんな事でも起こらなければ誰も気にも留めない類のものですが、厳密に言えば内部的な私文書の偽造であり、やはり詐欺の範疇に入るのかも知れません。フレイザーやブルックの不法行為を私はこの二つだけしか知りませんが、当局がその気になってあら探しをすれば、このような類の微罪は未だ他にも幾つか見つかるかも知れません。いずれにせよ、こう言った可能性までも考えに入れるならば、彼等が完全に真っ白と言う事はあり得ないでしょうが、私はそのような類の事は、率直に言ってどうでも良い屁理屈だと思っています。彼等も、私も、皆様方も聖人君子ではないのです。
ここで例に挙げた類の微罪は、本当に真剣な問題とされるべきでしょうか。私はそうは思いません。我々が本当に問題とせねばならない事は、マザールが一貫してそう主張してきたように、フレイザーやブルックは詐欺的手法によって投資家から金を騙し取ったのかどうかと言う事です。彼等が聖人君子ではなく、どこを取っても一点の曇りもない正直と高潔の権化ではなく、幾つかの重要ではない違反を犯したなどと言う事は、現実世界に生きている人間に取ってはどうでも良い事の筈です。「フレイザーとブルックは詐欺によって投資家の資金を騙し取った」 − 少なくともそれがマザールの根本的主張であり、捜査当局が調査に乗り出したきっかけだったのです。そして、この意味における「詐欺」と言う問題に関してのみ述べるならば、私は100パーセントの自信を持って「彼等は潔白である」と断言する事ができます。フレイザーやブルックに罪があるとしたら、それはグループに重大な危機が迫る可能性があったにも拘らず、その情報を他の役員や社員と共有せず、自分達だけで何とか舵取りをしようとした挙句、結局判断を誤って悪党どもにグループを潰される事となり、そのために現在の大混乱を招く結果となった事だと思います。彼等は経営判断上のミスを犯したかも知れませんが、それは愚かであっただけで犯罪ではありません。一方、清算人と言う立場を悪用し、反論がないのを良い事に債権者に虚偽の報告を流し続け、自らの懐を肥やす貪欲さに取り付かれている、マザールとPWCの行為は明らかに犯罪です。法律を軽視するつもりはありませんが、しかしどう考えても微罪に過ぎないものを形式上「詐欺」として罰し、(ごく僅かの債権者が認めたため)形式上は合法的に見えても、その実は略奪に他ならない不当行為を不問に付すと言うのは、私の感覚からは到底許される事ではありません。
私はロンドンの司法界では知らぬ者とてない弁護士で、警察やSFOを聴講者として何度も講習を行っている、詐欺事件専門のある老大家と話した事があります。この弁護士は本当に第一人者中の第一人者と目され、自分自身、ロンドンで恐らく一番費用が高いと言っている弁護士ですが、彼があるとき私に語ってくれた事が忘れられません。曰く「SFOの本来的仕事は起訴をする事であり、そのための理由を探し出す事である。彼等の仕事は真実を究明する事ではないから、事実の解明を彼等に期待するのは間違っている。」なるほど、確かにそうかも知れません。私が感じるところ、SFOはフレイザーやブルックに何らかの罪を被せる事には非常にご執心なようですが、そもそも消えてなくなったと言われた投資家の金がどうなったのか、誰が間違いを犯した結果こうなったのかを調べるのは余り熱心ではないようです。巨大な捜査権を持つSFOの事です。あるいは調べた結果、事実を既に知っているのかも知れません。しかし得られた事実が自分達の職分には直接関係がないとしたら、警察官僚機構全体の調和を乱してまで、敢えてそれを公表する必要は感じないかも知れません。